子供用のバドミントン・ラケットを持ち出して、私とソナムでデモンストレーションをした後、私のラケットを彩に渡した。
バドミントンは初めての彩。
すると初心者のツキで、すぐに2打ほどちゃんと打ち返した! 大きな目をくりくりさせ、ボリウッド映画のインド人ダンサーのように首をくねくねさせて、「Wow, I’m good at learning! (わ~、あたしって学ぶのが上手!)」と嬉しそうに言った。
これはとても嬉しかった!
これを原動力として、なんとかやっていけそうな気がするから。
そうじゃないときも勿論あるだろうけど、これをよーくアンカリング(深く染み込ませて)いけば、苦手なことにもチャレンジしていける気がする。
(私は小さいころ、自信のない子だったので)子育てでは「できること」や「できるようになる楽しさ」に目を向けてきた。
自信って、文字通り自分を信じること。
私はこれがなかったので、自分の外に正解を求めたり、人の意見にぐらぐらと揺れたり、、、
特に体育の授業ではこれがもろに出て、逆立ちや跳び箱、ボール競技も大の苦手だった。五体満足でバランス感もあるのに、自分には出来ない、と思うから、よけい怖くなって出来なかった。
そんな子供の頃、楽に楽しく出来たのは、唯一音楽。3歳からピアノをやってたので当たり前だけど、これがあって本当によかった!今の職業も、これの延長だ。単純といえば、ただただ単純な私の人生(笑)。
大人になってからもコンプレックスが多くて、自信=自分を本当に信じられるようになったのは、日本の外に出てだいぶ経ってからかも。自分を信じることについてのワークもした。
5人の子の父で、わんぱく倶楽部など親子遊び活動をしながら、お母さんたちの勉強会もしている篠さんのブログを読んでいて、こんなのがあった。
私は「子育ての究極の目的」は、「子どもの自己肯定感を育てること」なのではないかと思っています。それは子どもに障害があろうとなかろうと同じです。
色々と体験させるのも、学ばせるのも、子どもを叱るのも、褒めるのも、自己肯定感を育てることにつながらなければ無意味です。
子どもに障害があって療育が必要な場合でも、それが自己肯定感を傷つけるようなものなら有害です。
子どもの成績が良くても、しつけがよく行き届いていても、英語がペラペラでも、スイミングでもそろばんでもピアノでも何でも出来ても、自己肯定感に傷を付けられてしまった子どもは自分の足で歩くことが困難になってしまいます。そして、周囲の人に依存したり、他の人を傷つけるような生き方しかできなくなってしまうのです。
なぜなら、自分を肯定する力はそのまま、他の人を肯定する力だからです。自分を肯定することが出来る人だけが、素直に他の人を肯定することが出来るのです。
ですから、子どもを肯定できない人、子どもを待つことが出来ない人は、まず自分を肯定すること、自分を待つことから始める必要があります。
ちなみにプライドばかり高くて、平気で他の人を傷つけるような人も、実は自己肯定感が低いのです。だから過剰に自分を守ろうとするのです。
篠さんのブログは、こちら。
コメント