この日曜、母の日でしたね。
小さいときは、(両親が離婚して父方にいたので、母がいなくて)
小学校の工作で赤いカーネーションを作るとき、
お母さんのいない人は、(といってもその当時、片親家庭は
あまりなかったから、クラスで私だけ)赤じゃなくて白のカーネーションを
作らされたりしてたのを思い出すなー。
死んでしまって天国にいるわけじゃなかったから、どうも苦味だったっけ。
ソーシャルメディアがこれだけ幅をきかせている昨今では、
ラブラブから涙涙まで、人それぞれの母に対する感情表現も多く
母なし子なしの(お母さんが既に他界されていて、自分の子供を持たない)人、
癌で母を亡くしたばかりのティーンエイジャーなど、さまざま。
私はうちでゆっくりさせてもらい、読書満喫。
娘はお父さんとヨット・パーティーへ。
舵をとらせてもらったそうで、大喜びの娘。
私は日本の母に、アマゾンから老子の本を贈り、
友人から借りていた本を読み終え、
感動の波にじわーんと包まれた。
「The Afterlife of Billy Fingers」
事故死した兄ビリーのメッセージを、NYの作曲家の妹が書いた本で、
死後の世界のお話。 とても神秘的で、自由、開放感たっぷり。
DBに住む知人のアニタが書いて、世界的ベストセラーとなった
臨死体験のお話、「Dying to be Me」も感動したけど
往復切符でなく、片道だけ、逝ってしまった人の
死後の世界からのつぶやきは、すごく臨場感ある。
どちらにも共通するのは、あちら側の世界が、こちら側より
ずっと「生き生きと」していること。皮肉っぽいけど。
感情や価値観や個性や常識、知識などを、まるで古い洋服を
脱ぎ捨てるように脱いだ後に存在する魂の旅には、
とーっても感慨深いものがある。
世界のトップレベルの科学者、物理学者たちが言うように、
「モノ」を研究すればするほど、そこに「モノ」はなく
ただ波動と空間があるのみ。(「色即是空」)
そしてその波動を動かす何かの後ろには、
この宇宙を作り出し、永遠に営み続ける大きな知性が存在している。
生きているうちは忘れているけど、私たちは死を通じて
皆この知性につながっていることを思い出すのでは、と思う。
この地上では二つのものが、あちら側では一つ。
大きなシフトだけど、こちら側にいる間にも、
感覚として一つだとわかっている人も大勢いる。
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