OH, AVATAR….

昨日の午後、街でぽっと時間が空いて、3D映画「AVATAR」を見てきた。

気が付いたら3時間も経っていて、映画館の外に出たとき、現実の世界に違和感を感じた。うまくアジャスト・バック出来なくて戸惑ったほど、実に素晴らしかった。 感動した!Beautiful!!

あんたたち、よくこんな映画を作ってくれました!と、延々と続くクレジットを(素敵な音楽も最後まで全部聴きたかったし)、じーっと、というより、ぼーっ然と最後まで見ていたら、劇場内で最後の一人になっていたほど、飛ばされた。

「They don’t want anything from us (humans). We don’t have anything that they want.」と主人公Jakeが言ったように、意識が変革されれば価値観もがらりと変わって、世界が変わる。

気が付くと、今日も時々AVATARのことを考えていた。

宮崎駿のラピュタ- 天空に浮く島や、シャーマンのようなシータの祖母、木の大切さなど- と、風の谷のナウシカ – 空を飛ぶシーンや、大気汚染、自然との共生、戦争批判、巨大な蟲オームが怒るところなど – と重なる部分が多々あるなぁ、と思った。

「パクリ」などという、20世紀的なとったとられたの考え方でなく、パラダイムシフトへの足掛かりとして、こうした美しい作品 (美しい「何か」)が私たちの集合意識の中からもっとたくさん出てきて欲しいと望むばかり。

一匹の猿がいもを海水で洗って食べたのが広まり、ある臨界量を超えると、瞬く間に日本国中に広まったように。

映画という形態だけからでなくて、多くの分野から。自分も含めて。

光輝く人たちに感化されながら、もっと光に近づくように、これまでしてきたこと。そしてこれから何ができるか。

そんなことを考えていたら、南アフリカ共和国元大統領、ノーベル平和賞受賞者のネルソン・マンデラが就任演説で語った、マリアン・ウィリアムソンの詩を思い出していた。

Our deepest fear is not that we are inadequate.

Our deepest fear is that we are powerful beyond measure.

It is our light, not our darkness that most frightens us.

We ask ourselves, Who am I to be brilliant, gorgeous, talented, fabulous?

Actually, who are you not to be?

You are a child of God.

Your playing small does not serve the world.

There is nothing enlightened about shrinking

so that other people won’t feel insecure around you.

We are all meant to shine, as children do.

We were born to make manifest the glory of God that is within us.

It’s not just in some of us; it’s in everyone.

And as we let our own light shine,

we unconsciously give other people permission to do the same.

As we are liberated from our own fear,

our presence automatically liberates others.

私たちが最も恐れているのは、自分の力のなさではありません。

私たちが最も恐れているのは、自分に計り知れないほどの力があるということなのです。

私たちをおびえさせるのは、光であって、暗闇ではないのです。

私たちは自問自答します。

「自分が、魅力に溢れ、才能があり、素晴らしいなんてことがあるだろうか?」と。

でも、そうでないあなたとは、一体何者なのでしょうか?

あなたは神の子なのです。

あなたが小さく生きることは、世のためにはなりません。

他の人が不安を感じないように、あなたが縮こまることからは何も生まれないのです。

私たちは誰もが輝くためにいるのです。子供たちのように。

私たちはみな神から授かった栄光を表すために生まれてきたのです。

それは特別な人だけがもっているものではなく、すべての人の中にあります。

その光を輝かせることは、自然と他の人にも同じように輝く許可を与えることになります。

私たちが自分の恐れから自由になるとき、

私たちの存在そのものが、他の人たちを自由にするのです。

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