日本の学校は、言わば「サラリーマン養成所」?!

海外に住んで25年なので、私の中での日本との距離はかなりアバウトになってきた。

そんな中で、学生時代の記憶を呼び起こすような記事を発見。

ちょうど娘の(香港での)中学進学の時期でもあり、読んでみた。

以下はハフィントンポストからの抜粋。

作家の乙武洋匡さんが、Twitterに日本の学校制度について「言わば『サラリーマン養成所』」だとコメントし、話題になっている。乙武さんは「あきらかにサラリーマンには向いていないだろう子どもさえ、あたかもそこしかゴールがないかのように追い込まれていく」などとツイート。「サラリーマンを目指していない子にとっては窮屈な場所でしかない」などと語った。

以下は、この方のツイート。

日本の学校は、言わば「サラリーマン養成所」。だから、サラリーマンに向いていない子や、そもそもサラリーマンを目指していない子にとっては窮屈な場所でしかない。日本で起業家が少ない理由も、そのあたりと関連しているのではないかと、わりと本気で思っている。

スティーブ・ジョブズもビル・ゲイツも発達障害だと言われている。もし彼らが日本のような「サラリーマン養成所」で教育を受けていたら、はたしてアップルやマイクロソフトはこの世に誕生していただろうか。翻って、日本の教育は国際的に活躍する可能性を秘めた子どもの才能を潰してはいないだろうか。

もちろん、「起業家>サラリーマン」などと優劣をつけて考えているわけではない。ただ、人には向き不向きがある。あきらかにサラリーマンには向いていないだろう子どもさえ、あたかもそこしかゴールがないかのように追い込まれていく。世の中にはもっと様々な職業があるし、様々な生き方があっていい。

たとえば、ほとんどの学校で盲目的に「前へならえ」をさせているところです。メニューを選べない給食、服装や髪型を細かに規定される校則。やはり日本の教育は、誰かの指示に従ったり、集団行動ができるようになることを重視する側面が強いように思います。

下の風刺絵の台詞は、「公平な選考をするために、諸君全員に同じ試験を受けてもらう。まずは、そこの木に登ってみたまえ。」

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絵の下には、「私たちの学校制度」とあり、この絵も(海外の、というか、英語圏の)ネット上でかなり回っているから

この均一式の学校制度と風潮は日本だけではないとしても、上のツイッター記事を読んで、昔の’記憶がよみがえったと共に、彼に同感しつつも、日本の学校は40年以上ずっと変わってないんだなー、と少し驚いた次第。

グループ意識、団体行動には、この世にあるものほとんど全てがそうであるように、長所と短所があるわけで、それが良い、悪い、という議論ではないと思う。 根っこの部分でキリスト教の影響がとても強い現代の資本主義の発展の仕方 — 資本主義全体の春夏秋冬でいったら、もう既に秋か冬の時代に入ってるのかも? — が地球を覆いつくしているかのように見える社会がある。 その社会の中で資本主義が生き残るために(?)、また際限なく富を増やしていくために、西洋の個人主義を「パーソナライゼーション」として、ネット市場に組み込み、自分で選ぶことで、イメージやスタイルを確立していく、そうした方向で経済が発展していく、または発展させざるおえない状況があって、そんな個人主義と多様性の発展が進む中で、この、昔の教育制度とのギャップがどうしても生まれ、ギシギシといろんなところで音を立てているのかなー、とも私は思う。

そうした経済社会にいる一方で、私たちの魂が、真に自由自在にいることを、もっと真剣に考えて生きたい、と考える。

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