5歳の彩は、まだ「お母さんとずーっと一緒にいたい!」年頃。昨日の日曜は久しぶりに二人だけで1日過ごした。近くの滝(2箇所、素晴らしいところがある!)から帰ってから、一緒に「おなべコトコト、煮えたかどうだか食べてみよ、コト」と歌いながら、ポテト&グリーンピース・スープを作った。
ベッドタイムになって、「お母さん、私が死んだら私のそばにいてね。私はお母さんの背中のところに立つようにするから、後ろを振り向いて思いっきりハグしてキスしてね」と言った。OK!もちろんよ、と返事してから、私は「お母さんが死んだら、ちっちゃくなって彩の肩の上にちょこんと乗ってるからね」と言って笑った。
マイケルジャクソンが死んでから、「死」というものが身近になったのだろうか、よくこんな話をする。「体が死んでなくなっても、タマシイは死なないんだよ」と。
そんなことを綴った子供用絵本を、この夏に日本で買ってきた。谷川俊太郎の「死」。主人公の女の子のおじいちゃんが死んだお話。「死ぬことは物質から自由になって、エネルギーに帰るのかもしれない。そこに私たちの本当のふるさとがあるのかもしれない。」と結ばれている、「考える絵本シリーズ」の1冊だ。
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